「5年後、どんな自分になっていたいですか?」――就職面接でよく聞かれるこの質問。なんとなくイメージは浮かぶけれど、うまく言葉にできない人も多いのではないでしょうか。心理学では、こうした「未来の自分のイメージ」を「可能自己(Possible Selves)」と呼びます。この記事では、可能自己の定義から、動機づけ機能、バランス理論、目標設定への応用までをわかりやすく解説します。
可能自己の定義――未来の自分を描く心理
マーカスとニューリアスの概念
可能自己は、社会心理学者ヘイゼル・マーカスとポーラ・ニューリアスが1986年に提唱した概念です。彼女たちはこれを「個人が未来の自分について抱く認知的表象」と定義しました。可能自己には、なりたい自分(hoped-for selves)、なれるかもしれない自分(expected selves)、そしてなりたくない自分(feared selves)が含まれます。
重要なのは、可能自己が単なる「夢」や「願望」ではないということです。可能自己は現在の自己概念と連続した地平にあり、「今の自分の延長線上にある未来の自分の姿」として機能します。だからこそ、現実味のある可能自己ほど行動に結びつきやすいのです。
自己概念との関係
自己概念が「今の自分はどんな人間か」という現在志向の認知であるのに対し、可能自己は未来志向の自己認知です。両者は密接に関連しており、現在の自己概念が可能自己の範囲を規定し、逆に可能自己が現在の自己概念を引っ張る力にもなります。たとえば「自分は英語が苦手だ」という現在の自己概念があると、「英語を使って海外で働く自分」という可能自己は描きにくくなります。
希望自己と恐怖自己の動機づけ機能
希望自己――「こうなりたい」が引っ張る力
希望自己(hoped-for selves)とは、「こうなりたい」と望む未来の自分のことです。「健康でいたい」「専門分野で認められたい」「良い親でありたい」といったイメージがこれにあたります。希望自己は、理想に近づくための接近動機づけ(approach motivation)を生み出します。目標を設定し、計画を立て、努力を持続する原動力となるのです。
恐怖自己――「こうなりたくない」が押す力
一方、恐怖自己(feared selves)とは、「こうなりたくない」と恐れる未来の自分です。「孤独な老後を送りたくない」「健康を失いたくない」「仕事で落ちぶれたくない」といったイメージです。恐怖自己は、望ましくない状態を回避するための回避動機づけ(avoidance motivation)を生み出します。
ヒギンズの自己不一致理論における「理想自己」と「義務自己」は、可能自己の概念と深い関連があります。希望自己は理想自己と、恐怖自己は義務自己(こうあるべき自分に到達できなかった場合の恐怖)と部分的に重なります。
バランス理論――両方あるから力が出る
オイサーマンのバランス仮説
発達心理学者ダフナ・オイサーマンらの研究では、希望自己と恐怖自己の「バランス」が動機づけにおいて重要であることが示されています。たとえば「良い成績を取りたい」(希望自己)だけでなく「落第したくない」(恐怖自己)も同じ学業領域に持っている場合、学業成績が向上しやすいという結果が得られています。
なぜバランスが重要なのでしょうか。希望自己だけでは「今はまだ大丈夫」と行動を先延ばしにしがちです。一方、恐怖自己だけでは不安に圧倒されて行動が萎縮してしまうことがあります。両方がセットであることで、「こうなりたい」という引力と「こうはなりたくない」という推進力が同時に働くのです。
文化的・社会的文脈の影響
オイサーマンとフライバーグの研究は、可能自己が文化的・社会経済的文脈に大きく影響されることを示しました。経済的に恵まれない環境にいる若者は、学業やキャリアに関する希望自己を描きにくく、恐怖自己が偏る傾向があります。つまり可能自己は個人の内的な想像力だけでなく、社会的な機会構造にも左右されるのです。
可能自己と目標設定・行動変容
アイデンティティに基づく動機づけ
オイサーマンらが提唱した「アイデンティティに基づく動機づけ(Identity-Based Motivation)」理論では、目標が自分のアイデンティティ(自己概念や可能自己)と結びついているとき、困難に直面しても努力を持続しやすいとされています。「健康な自分でいたい」というアイデンティティレベルの可能自己があれば、「今日は運動したくないな」という気分に左右されにくくなります。
具体性と行動戦略
可能自己が動機づけとして機能するためには、具体的な行動戦略とセットであることが重要です。「成功した自分」という漠然としたイメージだけでは行動に結びつきにくいのです。「3年後にプロジェクトリーダーになっている自分。そのために今年中にマネジメント研修を受ける」のように、可能自己と具体的なステップを紐づけることで、イメージが行動計画に変わります。
可能自己を活用するための実践ヒント
「なりたい自分」を書き出す
まずは希望自己と恐怖自己を、仕事・人間関係・健康・趣味などの領域ごとに書き出してみましょう。「5年後、どんな自分でいたいか?」「5年後、どんな自分にはなりたくないか?」という問いに対して、できるだけ具体的に答えることが大切です。書き出すことで、漠然とした不安や期待が整理され、行動の方向性が見えてきます。
バランスを確認する
書き出した可能自己を見直して、希望自己と恐怖自己のバランスを確認しましょう。恐怖自己ばかりが多い場合は「では逆に、どうなりたいのか?」と希望自己を意識的に追加します。希望自己ばかりの場合は「もし行動しなかったら、どうなるか?」と現実的なリスクにも目を向けてみてください。
小さな一歩を設計する
可能自己を描いたら、それに近づくための最初の一歩を具体的に設計しましょう。自己効力感の研究が示すように、小さな成功体験の積み重ねが「自分にはできる」という確信を育て、さらに大きな行動変容への道を開きます。「なりたい自分」は、遠い夢ではなく、今日の小さな一歩の先にあるのです。
MELT診断で「なりたい自分」の手がかりを得る
可能自己を描くうえで、まず「今の自分」を正確に知ることが出発点になります。MELT診断では、ビッグファイブ理論をベースにあなたの性格傾向を「表の顔」と「裏の顔」の両面から可視化します。たとえば、表では協調性が高いけれど裏では開放性が高いという結果は、「もっとクリエイティブな活動に挑戦したい」という可能自己の種を示しているかもしれません。
自分の強みと未開拓の側面を知ることで、「なりたい自分」のイメージがより具体的で現実味のあるものになります。可能自己は現在の自己概念の延長線上にあるからこそ、今の自分を深く理解することが未来の自分を描く力になるのです。
まとめ
この記事のポイント
- 可能自己とは「未来の自分のイメージ」であり、希望自己(なりたい自分)と恐怖自己(なりたくない自分)を含む
- 希望自己は接近動機づけ、恐怖自己は回避動機づけを生み出し、両方のバランスが行動変容の鍵
- 可能自己は文化的・社会的文脈に左右され、具体的な行動戦略と結びつくことで効果を発揮する
- 領域ごとに「なりたい自分」「なりたくない自分」を書き出し、小さな一歩を設計することが実践の第一歩
参考文献
- Markus, H., & Nurius, P. (1986). Possible selves. American Psychologist, 41(9), 954-969.
- Oyserman, D., Bybee, D., & Terry, K. (2006). Possible selves and academic outcomes: How and when possible selves impel action. Journal of Personality and Social Psychology, 91(1), 188-204.
- Oyserman, D., & Fryberg, S. A. (2006). The possible selves of diverse adolescents: Content and function across gender, race, and national origin. In C. Dunkel & J. Kerpelman (Eds.), Possible selves: Theory, research, and applications (pp. 17-39).